姉との再会
もうあっという間に今年も11月に入って、今年も私の周りでは色々と出来事があったのだが
少しづつ書いていこう。
今年9月に何年かぶりにようやくと母と子のお墓参りに行けた。
Tりんの仕事が忙しく休みもないし、あってもぐだついていて全然連れて行ってくれないので
私一人でも思い立ったら気軽に出かけていきたいという思いもあって今の車を買った。
(車の紹介については近いうちにまた)
昨年、長年音信不通だった姉から連絡があり、たまに会っていた。
Tりんのところへはたまに連絡をしてきていたので、私に直接連絡するように伝えた。
母の命日近くには2000円だったかをTりんのところへ持ってきた事があったのだが
私はいらない”と言ってTりんに手間賃と思ってたばこでも買ってといって受け取らなかった。
子供じゃないんだし、貧困な人でもない。
むしろ金持ち、一生食うに困らないほどお金を持っている人が2,000円というのが理解出来ない。
何かお供えでも買ってあげて”とかなんとか言っていたらしいが、自分のうちにも仏壇はあるだろうし
自分でお供えして拝んであげてくれればいいことだ。
去年、久しぶりに会う約束をしてファミレスで待ち合わせした時には通常なら考えられないが
平気で10分~15分ほど遅れてきた。
約束の時間ギリギリくらいだったのでもう待っているかと急いでいったのだが来ておらず
その時点で帰ろうかとも思ったが、どんな具合で来るのかもわからないし、怒りを抑えて待ってみた。
帽子と眼鏡をかけて、デパートで買い物をしてから来た”と言ってやってきた。
風貌は年のせいか昔ほどギラギラした感じはなくなっていたが、中身はあまり変わっていないようだ。
40を過ぎて大学へ行っていたと叔母から聞いていたが大学の方は卒業したらしい。
実際にはほんとかどうかはわからない。
母が死んだ日電話も出ず無視して、葬式にも来ず、その事についても何も話さない。
代わりに出た言葉が、
「Jが死んだんだわ。。。」
だった。Jとは姉が昔可愛がっていたホストだ。
私も何度か飲みにいって顔くらいは知っている程度だった。
その他、自分が仲良くしていた子達が何人か立て続けに亡くなったらしい事を聞かされた。
私は何も聞かない。
それで?
という感じで。
甥のS也が身体をいためて生活保護になっているというのに体を心配する言葉一つもない。
でも最後姉に会った時からすると約10年以上の時がたっているし、
話をしていけば何か聞ける事があるかもしれないと思い、ただ話を聞いた。
自分が今何をしているのかも言わない。
何か煙に巻くような物言いではっきりとした事を話さない。
車に乗らず電車でやってきた事も変だと思い聞いたが駅がすぐだから”と言ってはぐらかした。
バッグや財布などはシャネルを持っていたが、昔の姉からは想像できないようなちょっとくたびれた感じだ。
スマホは見た所、有に5~6年以上は古いタイプのモノで何の飾りっけもないビニールのスマホケースを被せていた。
顔は整形のし過ぎなのだろうか、唇が腫れているように見えた。
昔からしょっちゅうプラセンタだのなんだのと美容系の注射を打ちにいっていたので
その日はまた何か注射でもして腫れているのかと思い何も聞かなかった。
私の事については聞かれれば話してもいいがとは思っていたが何も聞いてこないので何も話さなかった。
母の家出、母の借金返済、Tりんの病気、Tりんの借金、
会社でのパワハラ、
愛犬の死、
母の死、
自分の手術、入院、リハビリ生活、
資格取得のための生活切りつめ、
どんな事があったか、どんな風に人生を変えて今の私があるか、なんて自分からあーでこーでと話しはしない。
お正月にはどうするのかと少し気にはなったが、私の方からは連絡せずそのまま会う事なく過ぎた。
年があけてから、正月は熱を出して大変だった事を聞かされた。
今年春ごろだったか旅行に行ったおみやげを渡したい”と言って連絡がきたので会いにいった。
スマホで写真を撮ってきたらしいが見せてくれたスマホの中の写真はほとんどが壊れていて見る事が出来なかった。
しばらく話をしていて気付いたが、昔から姉はコンピュータが苦手なのだ。
昔、テレビ番組のタイマー録画なども私が行って設定してきていた。
ステレオの操作もCDやテープを聞く事は出来たが私が行ってダビングしていたのを思い出す。
話をしていて、何か変だ”と何か違和感を感じるのはそのせいだったのだろう。
スマホの操作をして見せると身を乗り出して中を覗き込んでいたが、そんなに身を乗り出さなくてもいいよ”という感じで。
それで私は次回、パソコン(スマホ)を教えてあげるから”と言ってその日はわかれた。
それから何度か会って食事をしたりしたが、何だか煙に巻くような物言いはあまり変わらなかった。
お盆が来て、お墓参りをと考えたが渋滞する事を考え9月にした。
ずっと母も待っているだろうし、そこへ連れていくのが私の使命というか、
それだけは絶対しなければいけない事だと長年思っていたので心中はどうであれ一緒に行く事が出来てよかった。
あとは自分が行きたい時に自由に行ってくれればいい事なので。
相変わらず母の葬式を無視した事についても何も語らなかったが自分から話すまで私は特に聞こうとは思わない。
死んだ人間に対しては自分の心と向き合うしかないのだから。

お墓へ行った帰りに新しいお数珠と経本を買いました。
人生つらい時ばかりじゃないよね。きっとね。
冬は必ず春となる”
です。
おーっととと💦
今日もまた忘れる所だった。
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