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去年からの出来事1

去年の10月の後半か11月頃だったんだけど、甥のS也のアパートに行ってみた。

電話番号も教えないし、ピンポンしても居ても出てこず寝ていたりするので2年ほど行っていなかった。

そしたら、アパートごとなくなっていて、どうしようかとぼけ~っと周りを2週して、、、

その時アパートの向こうのお家の奥様が丁度自転車で帰ってこられたので

「前ここにあったアパートに住んでた子なんですが知りませんか?」と声をかけた。



そしたら、詳しい住所はわからないけど生活保護になって市営荘に行かれたみたいですよ”と教えてくれた。

え?市営?って、、、。

あらら、、、。

娘さんが詳しい住所などを知っているかもしれないから”と言って下さって、その時はご不在だったようで

また明日来ます。”と言って帰ってきた。

帰ってきてから、市営ってあの辺りからならたぶん私と母が住んでいた所だろうと思い、住んでいた時にお世話になっていたHさんにメールをしてみた。

近所にいるなら見かけたりしてないかなと、、、。

そしたら、見かけていない”と言われて、昔その近所でバイトしてた時にお世話になった方の事を話したら聞いてみると言って下さって

その後数時間ほどでメールを下さり知っている方がいて行方を教えて下さった。

教えて下さった住所を調べたら普通のマンションだったので、一安心してそれから2週間後くらいに家に行ってみた。

体の方もずいぶんとつらそうだったらしい”と教えてくれた。


行方を教えずに行ったのだからもちろん知られたくないはずだと思ったので電話をしずに行ってみた。


昼間は出掛けているかもしれないし、もしかしたらもう元気になって働いているかもしれないし、と思い、

夕方行ってみた。

比較的真面目な子なので夜は家にいると思ったので。


数回ピンポンを押したが返事もない、、、。

玄関のドアが開いていたので中を見たら、S也の部屋だとわかった。

表札などは出ていないが部屋の雰囲気、置いてあるモノ、、、。


お~い。。。お~い。。。


お~い。。。S也~、、、、、



と呼びながら部屋に入っていった。

中からのそ~っとS也が顔を出した。


2年前に前のアパートに行った時、身体の具合が悪くて仕事を辞めた”というのを聞いていたから心配はしてたけど

電話もしてこないから自分でどないかしたのかなと思てたから、、、。

そんな事を少し話して体の具合は悪い”ということを聞いて、どんな具合に悪いのかと聞いたら

痛風だと言ったので、私は痛風の事はあまり知らないのでリウマチと似たようなもんかなという程度しか頭になくて

あまりいい言葉をかけてあげられなかったのかな。


ものの3分もたたないうちに

「もう帰って。」

と言われ、今来たとこなのにそこまでそんな風に言わなくても、、、”と部屋の中へも入れてくれず、玄関の台所にそのまま座った。


飲んだ後のコーヒー牛乳のパックが何個も何個も部屋の中いっぱいに詰められていて、ごみ出しもしないのだろうと思った。

トイレも風呂もドアが開けっぱなしで何故か”と聞いたら膝で歩いていって開けるのが大変だからと。

症状がひどい時は何日か続くが症状が止むと少しらくになるなど、、、。

壁に手でつかまりながら膝立ちして足がどうなっているかは見せてくれなかった。

この寒いのに半袖の下着とパンツという風貌で、もともと冬場でも半袖で過ごしていたような子なのでそのあたりは言わずにおいた。

だけどいくらなんでもたぶん私の表情にも出ていたのかもしれない。


何か手伝える事があったら手伝いにきてあげるから”といったのだが。。。

何が壁になっているのか心を遮断したように帰ってくれ”の一点張りで。。。


あまりに帰れ帰れ”としか言わないので鬱病なのか”と言ったら

悪いのは体!なんで鬱病が関係あるんだ!!

と言って怒り、身体の具合が悪いと心も病んでくるんだわ”と言ったが聞こうとしない。

鬱病なら帰るよ。鬱病じゃないなら話をしよう”と言ったのだが。


しかし、本人は否定していたが、たぶん鬱病なのだろうと思う。


別に怒りに来たわけでもないし、生活を壊そうとか、働け!とかまして母のようにお金貸してくれ”などと言いにきたわけでもない。

何も言わずに引っ越したのだから”とは思ったが具合も悪そうだったと聞けば心配もするし、

何か買っていこうかとも思ったがリウマチや痛風なら食べるものも安易に買っていってはいけないだろうと

とりあえず様子を見てからじゃないと”と思い夕方ならごはんもまだなら食べにいけばいいと思ったのだが

出掛けられる様子でもなく、もう食べた”と言ったので。



2年前あの後少ししてから生活保護になり、その後アパートの取り壊しになって前の大家さんから今の所を紹介されたらしい。

あの部屋はごみ溜めになっていたので引っ越しさせなければ”と思っていたのだが

あの部屋に行くまでは引っ越しさせてもらえてよかったよかった”と思っていたのだが。

育った環境というのだろうか、折角の新しい部屋もごみ溜め状態、乞食の部屋のようになっていた。

もともと丸々と肥えていたが、それより遥かに二周りほど肥えて正直これはひどい”と思った。

身体が痛くて動かないのだろう。

動けないのだろう。。。と。


食べるものはネットで買うからと言って特に不自由はしていない”と。


部屋の中は薄暗く、電気を付けたらまぶしそうに目をしばしばさせていた。

映画などで見るようなまるで地底人が地上に出てきて日の光に反応できず目をパシャパシャとするような感じだ。

たぶん外にもほぼ出ていないだろうし、部屋の明かりもつけずに過ごしている。

昔から部屋の明かりをつけずに過ごしていたがその目の雰囲気を見てもうかなり重症だと思った。

私も若い頃は夜の店でフラッシュライトチカチカやランプの明かりやそんな店で働いていたので仕事が終わって部屋に帰っても

目が疲れるのでテレビの明かりしかつけずに過ごしていたのでわかるが、そういうのとはちょっと違う。



その日帰ってきて、痛風について色々とネットで調べてみた。

症状として出るまでには10年から15年ほどかかるらしい病気だ。

まあ、そうだろう。

もう10歳になる頃にはスナック菓子を一袋パンッ!と開けたらものの10分ほどで食べきってしまうし

遠足にはバナナを一房持っていくような子でとにかくよく食べていた。

一人暮らしを始めてからは誰も止めないし好きに食べていたのだろう。

何に一番お金がかかる?と昔聞いたら食費”と言っていた。

20代前半くらいの時に私の杖をいいな”と言っていたが足が痛い”なんて言っていたのだが大して気にしていなかった。

それに痛風なんて年寄りがなる病気だというくらいしか当時は思っていなかったのだ。

まさか30で痛風になるとは夢にも思っていなかったし。

たくさんコーヒー牛乳の紙パックの残骸があったのも痛風にはコーヒーがいい”なんていうのを医者から聞いたのかもしれない。

私がよく行くお風呂で会うおばちゃん達の中にも、あたしゃ痛風だわ。”なんて言って膝さすったりしている方がいたので膝の病気なのかと思ったりしていた。

発症までに10~15年かかるという事からしても、普通に考えても中高年以降食べ過ぎ飲みすぎ動かない”というのが重なってなるものなのだろう。

なんていうか本人が病気に対してもあまりに知識不足なのではないかとかかりつけの医者にもちょっと頭にくるものがある。

子供の頃からの生活を全く180°ひっくり返した生活にさせないとどんどんひどくなるばかりだろう。

母もそうだったが、たぶん症状が治まり薬を飲んでいれば治っていくのだろうと考えているのではないかと思う。


正直部屋の中やあの子の風貌を見たらどこかリハビリ施設に入所させないとよくならないのかもしれない。

近所の人の目とか気になったりはしてないか?と聞いたら別に”と言っていたので

痛みさえなければネットはやり放題だし食べ物は宅配でくるし快適と言えば快適なのかもしれない。


だけどあのままだとどんどん悪化していくと思うし。

痛みの頻度も上がってどんどん動けなくなっていくかもしれない。

そんなところになんの快適もないんだ。

私は全身に激痛が24時間絶える事ない時を知っているから。

私のような手術を両足する人はあまりいなくて手術をするとほとんどの人が地獄からの叫びのように喚きまくる。

私も最初の手術の時はそうだったが、反対の足を手術した時には、この痛みがあとどのくらいでどんな風かというのがわかってきたから喚く様な事はなかった。

その時私を担当した看護婦は馬鹿だとしか言いようがない。

私と同じ手術をした人が喚きまくっていたらしくて遠くの病室から声が聞こえていたが、すごいんだわ、もう、暴れて”なんて言っていたが、いや、すごいのは私。あの人が普通なの”と思ったもの。

人間未知の事には不安なのだ。不安は痛みを増幅させる。


だけど堪えられたのはその痛みが必ず終わる事を確実に知っていたから。

あんなのがこれから先いつまた起こるのか、頻度が増してきた”なんてなったらまさに死にたくなるだろう。

痛風の激痛が半端じゃないことを今回初めて知った。

痛風の原因を知ったらそれはかなりのものなのだろうと想像ができる。


誰にも迷惑をかけずに過ごしている”と本人は思っているようだが

これから先20年も30年もずっとそのまま過ごしていくつもりなのか!と言ったら黙り込んでいたが。。。



男だから、基本的にはほかってある。

ただいつも気にはしている。

祈りを送っている。

本当に何か助けが欲しいと思った時に助けになってあげれるように、自分がぶれないでいられるように強くいられるように

自分自身に願い過ごしている。








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