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今年のお盆

今年のお盆は、いや、今年のお盆も特に何もなく過ごした。

お盆に予約していた海鮮料理のコース、Tりんが風邪でキャンセルになってしまったの。

ショボン。。。。。



最近は私も結構疲れがたまっていたのか、朝パッと起きられず頭がフラフラするような感じが続いていた。

お供えも普段は12日にはするのだが、今年は昨日、14日にした。

何もしないでおこうかとも思ったが、そうする事も出来ない。


夜中にスーパーへ出掛け、お酒とおはぎとりんごを買ってお供えした。


今日は送らねば”と思い経をあげたが、題目をあげながら、やはり遅れてでもお供えしてよかったと思えた。

お酒が大好きだった父が生前上機嫌で飲んでいた頃の顔が浮かんだ。

「これや。これや。これを待っとったんやでー!」

なんて言いながら。

仏壇には小さい母の写真を今も飾ってあるが、写真は笑っているがいつもより嬉しそうに思えた。

おばあちゃん達もおはぎ食べていってくれたかなぁ。。。なんて思いながら。


帰りは「ほら。クッキーももう帰んで。」なんて母に連れて帰られていったかな。



もう夜は秋の虫の声が聞こえている。

お盆明けたらまたすぐ涼しくなってあっという間に今年も過ぎていくわ。



今年後半も心と身体が健康で過ごしていけますように。。。





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   南無とは

   南無とは日本の言葉で言えば「帰命」するという意味であります。
   南無するとは、心も身もともに信じて捧げ尽くすというのが南無であります。
   その帰命する対象を本尊と言い、これに人と法とがあります。
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   また「帰」とは色法すなわち我々の肉体のことであり、「命」とは心法すなわち我々の心の事であります。
   人間というものは自分の身体のある所と心が一致しなくてはなりません。
   それでもなかなか一致が出来ない。
   その一致するところが本当の我々の生命の状態であります。
   色心不二なる状態を南無というのであります。
   我々の肉体と心とは別々のものでは絶対にありません。
   肉体と心が一致しているところに、本当の生命の極致があります。


   経というのは一切衆生の言語音声を経というので、我々の話す声、犬の鳴き声、虫のなく声、それが皆、経です。
   「声仏事を為す之を名付けて経と為す」とも言われております。
   これを聞いていえば、あらゆる活動性はことごとく経になるわけです。
   ですから「無明即法性」無明法性一体のもの、因果一体のものが活動する声、それは宇宙の生命活動、
   または衆生の生命活動となり、これを妙法蓮華経というのであります。


   日蓮正宗 方便品壽量品講義 より



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ただただ生きるという事は結構大変なものなのだ。
生きていく事こそが修行のようなものなのねん。。。
毎日毎日、ご飯作って食べてお風呂に入るって事、結構大変な事なのよ。
普通”って結構大変よ。。。




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