私の過去回想、続き(11)
今日は、久々に過去回想続きを書きます。。。
それにしても、小栗旬、いいわあ
。なんか、魅力のある子だなと思ってたけど、最近益々いいわあ
。
拓哉は別格。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それから、どうしていたのかな?、、、。
その店を辞めて、ほんとにわずかな時間1カ月位だったのかな?ブラブラしていて、18まであと1カ月ほどという頃、お呼びがかかった。もう、めんどくさくなったので、「私は本当はまだ17なの!」と打ち明けた。ほんとに皆びっくりしていた。お姉ちゃんも一緒になって(゜o゜)!!”みたいな感じで、「じゃ、お姉ちゃんは本当はいくつなんだ?!」とか、、、。お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ、17の時からボッタクリバーの客引きしてたの有名じゃないか(-"-)、、、。
それで、ある店がオープンするという事で、お誘いがかかっていたんだが、17と打ち明けて、そしたら、18になるまでカウンターで洗い物のバイトしとけばいい”と言って当時いくらだったのかな?ホステスさん並みに日給つけてくれたような気がする。送迎付きでコップ洗いのバイトに行ったのは、世の中そうそういないんじゃないだろうか。。。そう思うと結構恵まれてきたような気がする。。。
そして!!やっと18才になる日が来た!!
それまではほんとに長かった。やっと!やっと来たか!という感じだった。。。
帰り際、他の女の子達には内緒だよ”とお祝いのお花とプレゼントをくれた。車に乗っていたのは、オーナーの奥さん(内縁さん)と男子従業員だけで、こっそり渡してくれた。プレゼントは、メリーゴーランドのオルゴールだった。今も大事に持っている。
そして、私はそこでやっと!心置きなくホステスデビューをする事になった。
ロングドレスのお店で、お祝いにと店長がドレスを1着買ってくれた。その店長とは16の時、キャバレーの会計レジの時から知っていた。その前の店でもそのハゲが店長だった。酒飲みで、ギャンブル好きの、悪どいハゲだったけど、昔のそういうかなりえぐい人等が私は結構好きだった。

(当時18歳の頃の写真です。また、写真から写真なので画像悪いですが、見てるうち載せたくなっちゃいました(^_^.)。。。腕ブルンブルンですね~すいません。。。)
仕事中に酒を飲んで、リストマイクを持ってコールかけて間違えたり、「あの客あといくら持っとるんだ?むしり取ってこい!」とか、「帰りの電車賃残しといてあげないと
」とか言う子のお客もギリギリまで延長させて、「帰りは男子の車のトランクに(送りのホステスさんが乗っているので)つんでいってやる。もう1回分延長取ってこい!」とか。。。すごかった。それをやったのは、実は私の姉だけど、、、。
お客もそこまで(-"-)、、、。帰り、トランクの中でどんな気分だったんだろう、、、。
帰りあの客積んでけ”とハゲ店長から言われた男子も、姉に「ええよ!ラストまで延長させたれ
!」とか。
なんていうか、悪どいんだけど、それなりに女子と男子が団結してたというか、、、。
当時、週給制で私は手取りが最低10万くらいにはなるようにしてもらった。
だけど、おもしろいように稼げた。指名はバンバン入るようになり、ひまでも電話をかければ会いにくる”というお客もいた。私は、当時落ち着いて見えたのか?26~28くらい?と言われるお客も中にはいた。その頃はそう言われるのが逆に嬉しかったりした。ものの2カ月たたないうちに、バンバン指名が伸びて週15万位自力で稼げるようになった。
もう、その頃は、私はとてもコワい存在だったらしい。男子従業員が「私がこわい」と辞めさせてくれ”と言ったヤツもいた。私はオーダーは無言で、ウーロン茶しか飲まなかった。酔っぱらっていては仕事はできない。だけど、お客の前で「ウーロン茶」と言うのはシラケテしまう。だから、私のオーダーは暗黙の了解で黙ってウーロン茶を持ってくる”という風だった。それを、新人はモタモタと水割りなんかを持ってきたりして、私の怒りを、、、。気のきく男子は、オーダーを出したテーブルから私が動いても、移ったテーブルに持ってきてくれたりした。気のきかない男子は、そのまま私がいないテーブルに置いていく。「早く持ってこい!」と移る席移る席で怒られていた。「他の女はいいから私のオーダーは覚えとけ!」とかいう位きつい事を言っていた。
だけど、決していびりではなかったと思う。例えば、そこを辞めて他の店に行ったって、一般の会社に行ったって、気転がきく”という事はとても大事な事だ。そこで、たかだか18の小娘に怒られているようでは、そういうヤツは他でも使い物にはならなかっただろう”と思う。難しいコンピュータを使え”とか覚えろ”と言っていたのではない。状況把握して、臨機応変に対処しろ”という事だけだ。何が怖かったんだろう?、、、
女の子にもよくコワい”と言われていたみたいだった。
でも、当時の私は人がなんて言おうが全然気にしないタイプで、店に出勤するのはスエットにちゃんちゃんこ姿だった。迎えの車の中で化粧をして、毎日6時に流れるラジオCMが嫌いで、「これ聞くと1日気分悪いんだよね~」とか言っていた。私は冗談のつもりだったんだけど、それを聞いた男子はそれから6時になるとラジオを切っていた。その間2~3分、車内はシーン
。「もう終わったやろ」と2~3分後、男子がラジオをつける。
今の自分がそんな事をされたら、なんてイヤミなヤツなんだ
”と思うんだろうな。だけど当時の私は、よしよし
!”て感じだった。
そんな風だったが、お客は好きになってくれて、幅広い年齢層の人達が来てくれた。
お店は、おさわりクラブ”だったけど、私は結構楽しく過ごしていた。
そして、そこで私の最初の旦那様になる人と出会う。
初めて来た時は、仕事帰りだったのか、作業服を着ていた。私は作業服の男の人が結構好きだった。ポワ~ン”とした感じの人で、ちょっとジャッキー・チェンに似た優しい感じの人だった。初めて来て、2~3回延長をして行ったかなぁ、、、。なんというか、感”みたいのがあって、この人通ってくる!”というような感じがした。そして案の上、通ってきた。。。
まさかその後、結婚する事になるとまでは思っていなかったけど。。。

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それにしても、小栗旬、いいわあ


拓哉は別格。。。
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それから、どうしていたのかな?、、、。
その店を辞めて、ほんとにわずかな時間1カ月位だったのかな?ブラブラしていて、18まであと1カ月ほどという頃、お呼びがかかった。もう、めんどくさくなったので、「私は本当はまだ17なの!」と打ち明けた。ほんとに皆びっくりしていた。お姉ちゃんも一緒になって(゜o゜)!!”みたいな感じで、「じゃ、お姉ちゃんは本当はいくつなんだ?!」とか、、、。お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ、17の時からボッタクリバーの客引きしてたの有名じゃないか(-"-)、、、。
それで、ある店がオープンするという事で、お誘いがかかっていたんだが、17と打ち明けて、そしたら、18になるまでカウンターで洗い物のバイトしとけばいい”と言って当時いくらだったのかな?ホステスさん並みに日給つけてくれたような気がする。送迎付きでコップ洗いのバイトに行ったのは、世の中そうそういないんじゃないだろうか。。。そう思うと結構恵まれてきたような気がする。。。
そして!!やっと18才になる日が来た!!
それまではほんとに長かった。やっと!やっと来たか!という感じだった。。。
帰り際、他の女の子達には内緒だよ”とお祝いのお花とプレゼントをくれた。車に乗っていたのは、オーナーの奥さん(内縁さん)と男子従業員だけで、こっそり渡してくれた。プレゼントは、メリーゴーランドのオルゴールだった。今も大事に持っている。
そして、私はそこでやっと!心置きなくホステスデビューをする事になった。
ロングドレスのお店で、お祝いにと店長がドレスを1着買ってくれた。その店長とは16の時、キャバレーの会計レジの時から知っていた。その前の店でもそのハゲが店長だった。酒飲みで、ギャンブル好きの、悪どいハゲだったけど、昔のそういうかなりえぐい人等が私は結構好きだった。


(当時18歳の頃の写真です。また、写真から写真なので画像悪いですが、見てるうち載せたくなっちゃいました(^_^.)。。。腕ブルンブルンですね~
仕事中に酒を飲んで、リストマイクを持ってコールかけて間違えたり、「あの客あといくら持っとるんだ?むしり取ってこい!」とか、「帰りの電車賃残しといてあげないと

お客もそこまで(-"-)、、、。帰り、トランクの中でどんな気分だったんだろう、、、。
帰りあの客積んでけ”とハゲ店長から言われた男子も、姉に「ええよ!ラストまで延長させたれ

なんていうか、悪どいんだけど、それなりに女子と男子が団結してたというか、、、。
当時、週給制で私は手取りが最低10万くらいにはなるようにしてもらった。
だけど、おもしろいように稼げた。指名はバンバン入るようになり、ひまでも電話をかければ会いにくる”というお客もいた。私は、当時落ち着いて見えたのか?26~28くらい?と言われるお客も中にはいた。その頃はそう言われるのが逆に嬉しかったりした。ものの2カ月たたないうちに、バンバン指名が伸びて週15万位自力で稼げるようになった。
もう、その頃は、私はとてもコワい存在だったらしい。男子従業員が「私がこわい」と辞めさせてくれ”と言ったヤツもいた。私はオーダーは無言で、ウーロン茶しか飲まなかった。酔っぱらっていては仕事はできない。だけど、お客の前で「ウーロン茶」と言うのはシラケテしまう。だから、私のオーダーは暗黙の了解で黙ってウーロン茶を持ってくる”という風だった。それを、新人はモタモタと水割りなんかを持ってきたりして、私の怒りを、、、。気のきく男子は、オーダーを出したテーブルから私が動いても、移ったテーブルに持ってきてくれたりした。気のきかない男子は、そのまま私がいないテーブルに置いていく。「早く持ってこい!」と移る席移る席で怒られていた。「他の女はいいから私のオーダーは覚えとけ!」とかいう位きつい事を言っていた。
だけど、決していびりではなかったと思う。例えば、そこを辞めて他の店に行ったって、一般の会社に行ったって、気転がきく”という事はとても大事な事だ。そこで、たかだか18の小娘に怒られているようでは、そういうヤツは他でも使い物にはならなかっただろう”と思う。難しいコンピュータを使え”とか覚えろ”と言っていたのではない。状況把握して、臨機応変に対処しろ”という事だけだ。何が怖かったんだろう?、、、
女の子にもよくコワい”と言われていたみたいだった。
でも、当時の私は人がなんて言おうが全然気にしないタイプで、店に出勤するのはスエットにちゃんちゃんこ姿だった。迎えの車の中で化粧をして、毎日6時に流れるラジオCMが嫌いで、「これ聞くと1日気分悪いんだよね~」とか言っていた。私は冗談のつもりだったんだけど、それを聞いた男子はそれから6時になるとラジオを切っていた。その間2~3分、車内はシーン

今の自分がそんな事をされたら、なんてイヤミなヤツなんだ



そんな風だったが、お客は好きになってくれて、幅広い年齢層の人達が来てくれた。
お店は、おさわりクラブ”だったけど、私は結構楽しく過ごしていた。
そして、そこで私の最初の旦那様になる人と出会う。
初めて来た時は、仕事帰りだったのか、作業服を着ていた。私は作業服の男の人が結構好きだった。ポワ~ン”とした感じの人で、ちょっとジャッキー・チェンに似た優しい感じの人だった。初めて来て、2~3回延長をして行ったかなぁ、、、。なんというか、感”みたいのがあって、この人通ってくる!”というような感じがした。そして案の上、通ってきた。。。
まさかその後、結婚する事になるとまでは思っていなかったけど。。。

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