私の過去回想、続き、、、(6)
そして、16才、お水デビューをする事になる。
ほんとに、簡単な理由で、思い立ったら”的な、なんとも無謀というか、後先考えず”と言うか、若い頃ってこわいもの知らず”というか
とにかく、そのお金だけ欲しい為に、長く働くつもりもその後どうするかも、なんにも考えていなかった。
でも、働いてみたら、なんと楽しい世界☆私の入ったお店は、日本人が20人くらい、フィリピン人が15人くらいだったかなぁ、、、。チェーン店は県外にまであっちこっちにある所で、カラオケパブやピンキャバもあった。私は街のど真ん中のまあまあ、大きい目のお店に入ったようだった。
そこでは、1日2回、ショータイムとチークタイムがあった。ショータイムには、フィリピンさんが、ドレスに着替えて踊る。たぶん毎日毎日、練習をしていたと思う。日本人では、ちょっと年のいった人だったけど、一人だけストリップショーをやっていた。でも、素晴らしかった。華麗だった。今、思うと笑顔もダンスの魅力だ。他のホステスさんは、あまりいい顔をしていなかったが、私は、それだけの努力をしてでも指名を取ろうとしている事に、特に嫌な感じはなかった。それに、当時の私から見たらその方はとても大人に見えたし、、、。
私は、入店する時に、社長が面接をしてくれて、「店名何にしようか?」と、、、。「はい~、んん、、、」とそんなモノわかんねえよ~
と内心思って答えられずにいた、、、。「好きな芸能人や歌手は?」と聞かれ「松田聖子」と言ったら、「よし!それで行こう!今日から聖子だ!」と、え?ええ?私が聖子?ずーずーしくない?”と思ったけど、社長はニンマリして、聖子って子が辞めたばっかなんだ、うまい事やりゃ聖子の客拾えるぞ!”と、、、。
そのまま、うまいこといったと言うのか、私はみるみるナンバー3にまで入る事もあった。当時は、景気もよくほんと客層がよかった。ちょっとした人達でも名刺を貰うと、「代表取締役」やらなんやら、社長さんが結構いた。服を買ってもらって、お食事に付き合って、車の中でちょっと手を握ってあげて、、、同伴出勤して、今思うと、どれだけお金使わせるんだ!”ていうくらい使わせていたかも、、、。そんな小娘に使う方も使う方だからいいか
。そういう頃の人達は、深入りはしてこない。家の近くまで迎えに来て”と言って場所を指定して、迎えに来てもらったりしていたが、うちに上がらせろ”とかそういう事は言わなかった。みんな、いい子ちゃんでちゃんと車で待っていてくれた。若い女の子を連れて歩いている”という自分が好きだったのだろう。。。
お店は、週替わりの制服制で、スチュワーデス風や、チャイナ風、ブラウス風とミニタイプだったけど、若い私には特に抵抗はなかった。
そこで、仲良くなったお姉さん達と、毎晩居酒屋でご飯を食べて帰るというのが習慣みたいになっていった。はじめて入る居酒屋(゜o゜)。なんだか大人の世界~!て感じだった。毎日が楽しかった。
当時、お店にはカラオケが入っていなくて、カラオケ大好きだった私は、毎日のように「カラオケいれてー!!」と言っていた。ある日、「聖子があんまりカラオケカラオケってうるさいから、今日からカラオケ入れたぞ!」と。キャーヽ(^。^)ノてもうノリノリだった。カラオケ好きなお客さんは、ポロポロと指名してくれるようになり、ほんとに楽しかった。
3人組みくらいのお客さんが入ってくると、即効で走っていって、どれが一番かっこいい??”この人!”みたいな感じで我一番に席についていたりした。
入って間がない頃、モタモタしていて、席に行くと、他のお姉さん方はすっかりいいお客についていて、私この人~(-"-)”て事がよくあって、それで我先にと走っていくようになったのだ
だって~、私だってカッコイイ人としゃべりたいよー(>_<)。と、その頃は若かった、、、。
そして毎日行くようになった居酒屋の店員に目を付けた私は、自分の電話番号を書いたメモをこっそり渡した。その時仲の良かったRちゃんもその店員の事が好きだと言っていた。2人でどっちがオトスカ競争していた。私のもの!いいや!私のもの!みたいな感じで(*^_^*)。
結局、私の手にオチタヽ(^。^)ノ。でも、それはそうやって楽しんでいただけ”みたいな所があって、店員さんも半分はお客のオチャラケだな(^_^;)”と思っていたみたい。。。
そんな日をすごしているうち、ジャッキーの事はどこかへいってしまった。。。
今、思うと一体私って(-"-)、、、。
そんなある日、出会ってしまった。
その時は大人で私好みでとても素敵な人に見えた。私は、また恋に落ちる。。。

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とにかく、そのお金だけ欲しい為に、長く働くつもりもその後どうするかも、なんにも考えていなかった。
でも、働いてみたら、なんと楽しい世界☆私の入ったお店は、日本人が20人くらい、フィリピン人が15人くらいだったかなぁ、、、。チェーン店は県外にまであっちこっちにある所で、カラオケパブやピンキャバもあった。私は街のど真ん中のまあまあ、大きい目のお店に入ったようだった。
そこでは、1日2回、ショータイムとチークタイムがあった。ショータイムには、フィリピンさんが、ドレスに着替えて踊る。たぶん毎日毎日、練習をしていたと思う。日本人では、ちょっと年のいった人だったけど、一人だけストリップショーをやっていた。でも、素晴らしかった。華麗だった。今、思うと笑顔もダンスの魅力だ。他のホステスさんは、あまりいい顔をしていなかったが、私は、それだけの努力をしてでも指名を取ろうとしている事に、特に嫌な感じはなかった。それに、当時の私から見たらその方はとても大人に見えたし、、、。
私は、入店する時に、社長が面接をしてくれて、「店名何にしようか?」と、、、。「はい~、んん、、、」とそんなモノわかんねえよ~

そのまま、うまいこといったと言うのか、私はみるみるナンバー3にまで入る事もあった。当時は、景気もよくほんと客層がよかった。ちょっとした人達でも名刺を貰うと、「代表取締役」やらなんやら、社長さんが結構いた。服を買ってもらって、お食事に付き合って、車の中でちょっと手を握ってあげて、、、同伴出勤して、今思うと、どれだけお金使わせるんだ!”ていうくらい使わせていたかも、、、。そんな小娘に使う方も使う方だからいいか

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そこで、仲良くなったお姉さん達と、毎晩居酒屋でご飯を食べて帰るというのが習慣みたいになっていった。はじめて入る居酒屋(゜o゜)。なんだか大人の世界~!て感じだった。毎日が楽しかった。
当時、お店にはカラオケが入っていなくて、カラオケ大好きだった私は、毎日のように「カラオケいれてー!!」と言っていた。ある日、「聖子があんまりカラオケカラオケってうるさいから、今日からカラオケ入れたぞ!」と。キャーヽ(^。^)ノてもうノリノリだった。カラオケ好きなお客さんは、ポロポロと指名してくれるようになり、ほんとに楽しかった。
3人組みくらいのお客さんが入ってくると、即効で走っていって、どれが一番かっこいい??”この人!”みたいな感じで我一番に席についていたりした。
入って間がない頃、モタモタしていて、席に行くと、他のお姉さん方はすっかりいいお客についていて、私この人~(-"-)”て事がよくあって、それで我先にと走っていくようになったのだ

そして毎日行くようになった居酒屋の店員に目を付けた私は、自分の電話番号を書いたメモをこっそり渡した。その時仲の良かったRちゃんもその店員の事が好きだと言っていた。2人でどっちがオトスカ競争していた。私のもの!いいや!私のもの!みたいな感じで(*^_^*)。
結局、私の手にオチタヽ(^。^)ノ。でも、それはそうやって楽しんでいただけ”みたいな所があって、店員さんも半分はお客のオチャラケだな(^_^;)”と思っていたみたい。。。
そんな日をすごしているうち、ジャッキーの事はどこかへいってしまった。。。
今、思うと一体私って(-"-)、、、。
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その時は大人で私好みでとても素敵な人に見えた。私は、また恋に落ちる。。。

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