心の準備
今日は7月16日。
私は、今年の秋にいよいよ足の手術をする。
前回7年前は、もうどうしようもなくなったような足の手術だったので
かなりの大手術だった。
先生も、手術自体は2時間半から3時間くらいだろう”と言われていたのだが
いざメスをいれて開いてみると”という感じで、4時間以上かかった大工仕事だったよ”と言われていた。
その後2週間寝たきりでオムツ生活。
この寝たきり生活”だが、自分の意志では動けない状態の事で、
前にえらく生意気なクソガキが「自分も寝たきりになって~~~~~」なんて脳がきを
ブログで言ってやがったが(まだやってるでしょ)、
具合が悪くて、部屋で横になってる状態の、
自分でトイレに行けてお風呂にも入れるような事を言っているのではない。
介護が無ければ、ベッドで自由に横を向く事すら出来ない。
じっとそのまま。
ナースコールをかけて、誰かがきてくれるまで、忙しい時は30分以上そのままなんてざらだ。
その間、堪えるしかない。待つしかない。
その時に忍耐力はかなり鍛えられただろうと思う。
実はその時(7年前)に、もう片方の足の手術も先生からは話をされていた。
10年以上前なら、大きな大学病院なんかだと、この手術は1年や2年待ちの手術だった。
7年前、近所の整形の先生に、もう大急ぎ状態”だというような事を言われて
「自分の人生を今!考える時が来ましたよ!!」と言われ、
2~3日後、その先生に返事をしに行ったら、即、紹介状を何か特別な方法で送ってくださって、
次の日N病院の整形外科へ。
それでもその時も2カ月ほどは手術待ちになっていたと思う。(もう忘れた(~_~;)。。。)
2カ月N病院で過ごし、その後、市外のリハビリ病院へ転院し1カ月を過ごした。
その病院へついた時(Tりんに送って行って貰った)、
「こんなイナカー?いやだー!!コンビニは~?」とかそんな感じの所だった。
とてもじゃないけど、私が歩いていける距離にコンビニはなかった。。。
Tりんには毎週、差し入れを買って来てもらったり、支払いなども行って貰ったりした。
あの頃、Tりんほんとに大変だったと思う。
よくやってくれたと思う。
あの時があまりに大変だったので、出来ればこのまま、手術せず、一生過ごせたら”と
出来れば一生逃げたい”と思っていた。
だが、今回の抜釘手術の際に、先生からお話をされ、
「やはり医者としては、このままでいいんじゃない?とは言えない。」と、、、。
抜釘手術の後、ずっと考えていた。
そして、この間の診察の時に、先生に決断を告げた。
先生は「やっぱり手術も大事だからね。」と言われた。
私は、先生は結構厳しい目から見ても、名医だと思う。
先生は私の事はどっかぶっ飛んでる人だ”と思ってるかもしれないが、、、。
そして、日時の調整をした。
先生は学会があったりととても忙しい方で、
それに夏はあまり手術はしない方がいいんじゃない(膿むから)?とTりんも言っていて、
私としては夏の暑さから病院に逃げようかという気持ちも少しはあったのだが、
色んな事を考えた挙句、秋、10月にする事になった。
あれから7年たって、医療も進歩しているし、今回は前の時よりはラクだよ”と
先生が言ってくれた。
正直「寝たきりになる期間は?」と聞いたら(そこが一番心配)、
人それぞれだが、動く人は4~5日で車椅子に乗るし、
痛いからって動かない人はいつまでも動かない人もいるよ”と、、、。
たぶん長くても1週間みておけばいいだろう。。。
これで私は誰から見ても”の障害者になるか、
今まで通り、外から見たんじゃ健常者と変わらない人でいられるのか、、、。
障害等級は上がる。
両足が不自由なんだから。。。
手術した足を軸にリハビリをして、これからはどっちで杖をつく事になるのだろう。。。
ガガ様
実はこの間スマスマに出てたの見てようやくマジマジと見てみる気になった。
この曲、歌詞が半端じゃなくいい。
励まされる人多いと思うよ
私は涙出ちゃったよ。
色んな不安があって、今まで手術へ踏み出せなかった。
今回、去年の大みそかの日、Tりんに腹が立って怒っていた時の事を思い出した。
「今年はもう思い残すことなく来年を迎えたい。怒らしたまま過ぎたくないから、
今からふみちゃんの所に戻るよ!足りないもの買いに行こう!!」と言った事を思い出し、
私も!!
そう。私も!!大殺界だったこの3年、もう終わらせるんだ”と思った。
そして決断した。
病院から帰ってくる途中、車の中で考えた。
N病院は母が最後の1カ月半を過ごした場所だ。
母は、いつ来るのかわからないお迎えをそこで待ち闘った。
私はその同じ場所で同じ期間、私は、未来へ行く為に闘うのだ。
去年、母が「正月迎えられるかなぁ、、、」と言っていた事を思いだした。
今度は私が、正月までには帰ってこれるように”と思って闘うのだ。
もうクッキー
もいないし、おかんもいない。
心配の種がなくなった。
今回こそは抜釘手術までしっかり自分の為に時間を費やそうと思う。
たぶん正月にはまだ一人では日常生活ができないから、
昨日Tりんとも話したが、正月は帰らない”とダダをこねる感じになったが、
正月の買い物しといてやるから帰ってきて過ごしたらええがな”と言ってくれた。
たぶん正月に何日か一旦帰ってくる事は出来ても、
その後転院になるだろうとは思う。
実はこの事はブログには書かないでおこうか”どうしようか迷っていた。
通常の記事ならコメントを頂くのはうれしいのですが、障害者に対して認識できていない方が
手術したらスタスタと歩けるようにでもなると思われていたり、
逆に全くの車椅子生活で両足動かない歩けないと思われていたり、
それがイラッとくる事があります。
骨折の手術をしたわけではないので、時間が薬という言葉も私には通用しません。
治りません。治らないものを持って生きて行く人間を障害者と言うのです。
だけど、私のブログを訪問してくださる障害を持った方や闘病されてる方の記事を読んでいて、
ずーずーしいかもしれないですが、私でも少しでも
その方達と一緒に励みになれれば”と思い、書くことを決めました。
ですが、その矢先、ここの所微熱が続いていた事もあり、
たぶん婦人科系の熱だと感じたので、前から子宮付近に痛みを感じていたのですが、
今回は思い切って、大学病院の方へ行ってみた。
Tりんとの子を分娩した特別な事を知っている所へ、、、。
子宮内膜症”かもしれない”との事だった。
治療法は?
ピルで閉経させて~~~~~”と言われ、
閉経?は?え?もうその時点で頭の中真っ白状態だったんだけど、
秋に大きな手術があるので血液に関する薬は今は困る”と言って、
とりあえず、検査の為の血液をとって、結果は2週間後だ。
ただ、まれに鬱病の人がこういう症状が出る場合がある”との事で、
この痛みには鬱病の人への薬が効く場合があると言われた。
なんでもいいよ!この痛みから解放してくれるなら
この人薬物依存です”とでも何とでも言って
心療内科でも精神科でもどこでもまわしてよ
私から言わせたら、こんだけ痛いのに逆に体の病気から心の病いになるって!”と言いたいわ。
病院の帰りはもうひたすら、Tりんへの怒りがこみ上げてきた。
あの人と何年もセックスレスな関係を続けて、私の子宮は固まったのよ!!
帰り途にTりんに電話をしたのだが、たんたんと聞いているTりんに頭にきて、
電話ブチ切ってやった。
もう二度とあんたの顔なんて見たくないわ!!とメールしてやった。
次の日、どんよりした気分で寝ていたのだが、ネットで子宮内膜症についての事を調べた。
そしたら、ピル治療半年”と書かれていた。
私ったら、何を頭の中真っ白になってたんだろう”ってちょっと気分がましになった。
そうだよね。そうだよねー!!
うちのお姉ちゃんが元ソープ嬢でピル飲んでて、半年に一回ピル抜きなんだ”とか
言ってたのに、何を私ったら、、、、、。
その後Tりんに電話をかけ、
痛みがましになればあんたへのムカつきもましになるかもしれないけど、
この痛みがあるうちはあんたの事ムカつくからね!!”と言ったら、
仕方がない。受け入れる。”と言った。
差し入れしてよ!”と言ったら、じゃあ明日会社の帰りに持って行く”と言って、
さっき持ってきてくれた。
子宮内膜症は10人に1人の割合でなると言う病気だ。
私はもうこれから子供を産もう”と思っている女性ではないので、
結構荒治療も出来るかもしれない。
とりあえず、検査の結果を待とう。。。
やっと決めた足の手術、他の所もずっと痛み抱えて”なんて無理すぎる。
とにかく痛みを止めてほしい。
手術前に、少しでも体重落とさなきゃいけないんだ。
あと3カ月。私は絶対に乗り越える。
今週のオモシロ動画☆
これーやたら笑えるー
私は、今年の秋にいよいよ足の手術をする。
前回7年前は、もうどうしようもなくなったような足の手術だったので
かなりの大手術だった。
先生も、手術自体は2時間半から3時間くらいだろう”と言われていたのだが
いざメスをいれて開いてみると”という感じで、4時間以上かかった大工仕事だったよ”と言われていた。
その後2週間寝たきりでオムツ生活。
この寝たきり生活”だが、自分の意志では動けない状態の事で、
前にえらく生意気なクソガキが「自分も寝たきりになって~~~~~」なんて脳がきを
ブログで言ってやがったが(まだやってるでしょ)、
具合が悪くて、部屋で横になってる状態の、
自分でトイレに行けてお風呂にも入れるような事を言っているのではない。
介護が無ければ、ベッドで自由に横を向く事すら出来ない。
じっとそのまま。
ナースコールをかけて、誰かがきてくれるまで、忙しい時は30分以上そのままなんてざらだ。
その間、堪えるしかない。待つしかない。
その時に忍耐力はかなり鍛えられただろうと思う。
実はその時(7年前)に、もう片方の足の手術も先生からは話をされていた。
10年以上前なら、大きな大学病院なんかだと、この手術は1年や2年待ちの手術だった。
7年前、近所の整形の先生に、もう大急ぎ状態”だというような事を言われて
「自分の人生を今!考える時が来ましたよ!!」と言われ、
2~3日後、その先生に返事をしに行ったら、即、紹介状を何か特別な方法で送ってくださって、
次の日N病院の整形外科へ。
それでもその時も2カ月ほどは手術待ちになっていたと思う。(もう忘れた(~_~;)。。。)
2カ月N病院で過ごし、その後、市外のリハビリ病院へ転院し1カ月を過ごした。
その病院へついた時(Tりんに送って行って貰った)、
「こんなイナカー?いやだー!!コンビニは~?」とかそんな感じの所だった。
とてもじゃないけど、私が歩いていける距離にコンビニはなかった。。。
Tりんには毎週、差し入れを買って来てもらったり、支払いなども行って貰ったりした。
あの頃、Tりんほんとに大変だったと思う。
よくやってくれたと思う。
あの時があまりに大変だったので、出来ればこのまま、手術せず、一生過ごせたら”と
出来れば一生逃げたい”と思っていた。
だが、今回の抜釘手術の際に、先生からお話をされ、
「やはり医者としては、このままでいいんじゃない?とは言えない。」と、、、。
抜釘手術の後、ずっと考えていた。
そして、この間の診察の時に、先生に決断を告げた。
先生は「やっぱり手術も大事だからね。」と言われた。
私は、先生は結構厳しい目から見ても、名医だと思う。
先生は私の事はどっかぶっ飛んでる人だ”と思ってるかもしれないが、、、。
そして、日時の調整をした。
先生は学会があったりととても忙しい方で、
それに夏はあまり手術はしない方がいいんじゃない(膿むから)?とTりんも言っていて、
私としては夏の暑さから病院に逃げようかという気持ちも少しはあったのだが、
色んな事を考えた挙句、秋、10月にする事になった。
あれから7年たって、医療も進歩しているし、今回は前の時よりはラクだよ”と
先生が言ってくれた。
正直「寝たきりになる期間は?」と聞いたら(そこが一番心配)、
人それぞれだが、動く人は4~5日で車椅子に乗るし、
痛いからって動かない人はいつまでも動かない人もいるよ”と、、、。
たぶん長くても1週間みておけばいいだろう。。。
これで私は誰から見ても”の障害者になるか、
今まで通り、外から見たんじゃ健常者と変わらない人でいられるのか、、、。
障害等級は上がる。
両足が不自由なんだから。。。
手術した足を軸にリハビリをして、これからはどっちで杖をつく事になるのだろう。。。
ガガ様

この曲、歌詞が半端じゃなくいい。
励まされる人多いと思うよ

色んな不安があって、今まで手術へ踏み出せなかった。
今回、去年の大みそかの日、Tりんに腹が立って怒っていた時の事を思い出した。
「今年はもう思い残すことなく来年を迎えたい。怒らしたまま過ぎたくないから、
今からふみちゃんの所に戻るよ!足りないもの買いに行こう!!」と言った事を思い出し、
私も!!
そう。私も!!大殺界だったこの3年、もう終わらせるんだ”と思った。
そして決断した。
病院から帰ってくる途中、車の中で考えた。
N病院は母が最後の1カ月半を過ごした場所だ。
母は、いつ来るのかわからないお迎えをそこで待ち闘った。
私はその同じ場所で同じ期間、私は、未来へ行く為に闘うのだ。
去年、母が「正月迎えられるかなぁ、、、」と言っていた事を思いだした。
今度は私が、正月までには帰ってこれるように”と思って闘うのだ。
もうクッキー

心配の種がなくなった。
今回こそは抜釘手術までしっかり自分の為に時間を費やそうと思う。
たぶん正月にはまだ一人では日常生活ができないから、
昨日Tりんとも話したが、正月は帰らない”とダダをこねる感じになったが、
正月の買い物しといてやるから帰ってきて過ごしたらええがな”と言ってくれた。
たぶん正月に何日か一旦帰ってくる事は出来ても、
その後転院になるだろうとは思う。
実はこの事はブログには書かないでおこうか”どうしようか迷っていた。
通常の記事ならコメントを頂くのはうれしいのですが、障害者に対して認識できていない方が
手術したらスタスタと歩けるようにでもなると思われていたり、
逆に全くの車椅子生活で両足動かない歩けないと思われていたり、
それがイラッとくる事があります。
骨折の手術をしたわけではないので、時間が薬という言葉も私には通用しません。
治りません。治らないものを持って生きて行く人間を障害者と言うのです。
だけど、私のブログを訪問してくださる障害を持った方や闘病されてる方の記事を読んでいて、
ずーずーしいかもしれないですが、私でも少しでも
その方達と一緒に励みになれれば”と思い、書くことを決めました。
ですが、その矢先、ここの所微熱が続いていた事もあり、
たぶん婦人科系の熱だと感じたので、前から子宮付近に痛みを感じていたのですが、
今回は思い切って、大学病院の方へ行ってみた。
Tりんとの子を分娩した特別な事を知っている所へ、、、。
子宮内膜症”かもしれない”との事だった。
治療法は?
ピルで閉経させて~~~~~”と言われ、
閉経?は?え?もうその時点で頭の中真っ白状態だったんだけど、
秋に大きな手術があるので血液に関する薬は今は困る”と言って、
とりあえず、検査の為の血液をとって、結果は2週間後だ。
ただ、まれに鬱病の人がこういう症状が出る場合がある”との事で、
この痛みには鬱病の人への薬が効く場合があると言われた。
なんでもいいよ!この痛みから解放してくれるなら

この人薬物依存です”とでも何とでも言って

心療内科でも精神科でもどこでもまわしてよ

私から言わせたら、こんだけ痛いのに逆に体の病気から心の病いになるって!”と言いたいわ。
病院の帰りはもうひたすら、Tりんへの怒りがこみ上げてきた。
あの人と何年もセックスレスな関係を続けて、私の子宮は固まったのよ!!
帰り途にTりんに電話をしたのだが、たんたんと聞いているTりんに頭にきて、
電話ブチ切ってやった。
もう二度とあんたの顔なんて見たくないわ!!とメールしてやった。
次の日、どんよりした気分で寝ていたのだが、ネットで子宮内膜症についての事を調べた。
そしたら、ピル治療半年”と書かれていた。
私ったら、何を頭の中真っ白になってたんだろう”ってちょっと気分がましになった。
そうだよね。そうだよねー!!
うちのお姉ちゃんが元ソープ嬢でピル飲んでて、半年に一回ピル抜きなんだ”とか
言ってたのに、何を私ったら、、、、、。
その後Tりんに電話をかけ、
痛みがましになればあんたへのムカつきもましになるかもしれないけど、
この痛みがあるうちはあんたの事ムカつくからね!!”と言ったら、
仕方がない。受け入れる。”と言った。
差し入れしてよ!”と言ったら、じゃあ明日会社の帰りに持って行く”と言って、
さっき持ってきてくれた。
子宮内膜症は10人に1人の割合でなると言う病気だ。
私はもうこれから子供を産もう”と思っている女性ではないので、
結構荒治療も出来るかもしれない。
とりあえず、検査の結果を待とう。。。
やっと決めた足の手術、他の所もずっと痛み抱えて”なんて無理すぎる。
とにかく痛みを止めてほしい。
手術前に、少しでも体重落とさなきゃいけないんだ。
あと3カ月。私は絶対に乗り越える。
今週のオモシロ動画☆
これーやたら笑えるー

