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やっと終わった

やっと終わった。

ばかT夫との関係。

この時を10年以上待ってた。

今日ごはんを食べに行こうと車に乗ったら助手席のダッシュボードの上に

コンドームの袋があった。

しらを切ったがここまで明らかにしておいて、もう問答無用だろう。


あいつは優しさというものを勘違いして生きてる。


あいつとは調停離婚で別れた。

その時はなんにも尻尾を出さなかった。

私は私をそこまで足蹴にする理由が知りたかっただけだ。

お金が欲しかったわけでもない。

離婚したかったわけでもない。

足蹴にする理由を知りたかった。

今後、まだ結婚生活をしていく気があるのか?が知りたかった。

わがまますぎるあいつには何もわかっていなかったようだ。

自分のプライドを守りたかったのだろう。

調停離婚の通知が届いた時には、もうお金の事しか頭になかったのだろう。

私はそれまでにも、何度も話し合いを願った。

全然応じてくれないあの男に、調停に申し出る決心までもあるとも伝えた。

それでも何の反応もなかった。

明らかにバカにされていた。

そこまでするとは思っていなかったのだろう。

考えに考え、その頃は私の体も心もシンナーと薬でボロボロになっていた。

元風俗嬢で蝶よ花よ”で男に扱われてきた私にとっては、半端ない屈辱の日々だった。

私としてはお金の事しか話さないふざけた野郎には、

裁判にしてくれても構わない!”と言った。

離婚裁判は時間もお金もかかるがそれでも私の中では納得がいくまでやり合う覚悟だった。

絶対に勝つ自信はあったし!!

なにもかもさらけだすのも、もうその時の私には覚悟が決まっていた。

あいつは隠しておきたかったかもかもしれないけど、私の怒りはそんなモノではなかった。


あの男との出会いは伝言ダイヤルの援交ダイヤルで知り合ったのだ。

そう。

あいつは私をお金で買った。

「また会ってくれる?」と言ったのはあいつだ。

その頃の私にしたら、お金になるなら、初めて会うやつよりは安心もあるし、

その方がよかった。


その頃、とても不景気で店勤めはしていたけど、とても生活していけるほどの金額は稼げなかった。

ほんとにお店にくるタクシー代さえなく1時間近く歩いて帰る子がいたほど不景気だったのだ。


私はある日、新聞でテレフォンレディの募集を見た。

時給2000円ほどとあった。

なんでもいい。とにかく何かやらないと!そう思って始めた。

もちろん、お客と会う事は厳禁だった。


ある日、同じ店に働いていた女の子が、「テレクラお金になる?」と聞いてきた。

「まあ、、、1カ月4~5万くらいだけど、、、」と言ったら、

「え?だって、会いに行ったら2~3万くれるでしょ?」って(゜゜)!!

そこで私は何か目を開かされた気がした。

あー!!会いに行くんだ!!って、、、。


最初に行った日は、帰ってきて涙が出た。

こんな事を生活の為に、私はたかだか3万ほどのお金で自分を売った。。。

そう思うと情けないやら、泣けて泣けて、、、。


でも辛かったのは最初の2~3度だけ。

その後はそれが生活の為の仕事になった。


自分の中ではプライドもあったので、風俗店に行った事のないような人に、

でも行ってみたいが、勇気がない”と言うような人とお話をしてから、「会ってみますか?」

と言うようなやり取りをしてから、待ち合わせをして、顔を見て気に入ってもらえたら”と

いう感じだった。


毎週のように会いにきてくれる人もいた。

変な話、常連さん”みたいな感じになった人も何人かいた。

一緒にご飯を食べに言ったり、カラオケに行ったり、飲みに行ったりする人もいた。

出張先のおみやげを買って来てメールをくれる人や、

行きつけのホテルのポイントがたまるのを一緒に楽しみした人もいた。

気が合う人とは朝まで一緒にいたりもした。

だから、ほんとの売春”という事は私には当てはまらなかっただろうと思う。





そんな中で会ったのが元旦那。

あいつはお金でしか男と女のやり取りもできない人間だ。


だから結婚してもずっとバカにしていたのだろう。

結婚してから、セックスはした事が無かった。

お金をださなければあの人間の中では価値が無いのだ。

自分の手におさまったモノにはなんの興味も示さない。

ほんとに家政婦そのものだった。


調停でも話し合いにはならず、最初に向こうが提示した金額は50万。

たったの50万?

私と結婚して3年半をたったの50万で精算しようと言うのか?

許せなかった。

「お金はいらないから、私と結婚生活をしていけないと、いつから思ってどういう理由で?

それで別れたいというなら、今まで黙ってた事を謝罪してくれ!」と言った。

まったく話にならない元旦那とお金のやり取りだけが進んで行った。

「100万。」「150万。」と、、、。

許せなかった。とにかく謝ってくれ!と。

調停委員は「もうやめときなさい。あなたはまだ若い。あの人はくずだ。ばかばかしい事はやめて

貰うもの貰って、あなたならこの先いくらでもいい人が現れる!」と、、、。

3年半の結婚生活だったが、貰ったのはたった300万。

向こうにしたら、もぎ取られたとでも思っているかしらないが、

私にしたら、泣き寝入り状態だった。

私も無知だったのだ。

別れてからも理由が知りたくて付きまとった。

よりを戻したかったのではない。

理由を明らかにしてほしかったのだ。

あいつはこずるいヤツでなかなか尻尾を出さない。

ごはんを作り続けたのも私の執念だ。


はっきり言って、自分のやってた事を隠して一体何年私を縛ったと思ってるんだ。


私も別れてからあいつが掃除もろくに出来ない奴だと知って、

耳掃除一つろくに出来ない、顔も35年間石鹸をつけて洗った事がないヤツだと知った。

自分の事を隠すために沈黙を続けたのだ。

わかっていれば、慰謝料なんてチマチマした事を言わずに手切れ金と言う形で

さっさと終わらせる事も出来たのに。

幸せな事にあいつとの間には子供がいない。

私への手切れ金だけで済んだのだ。

手切れ金の相場は年収の1年分というから、その方が私も違った新しい道を歩めたかもしれないのに。

ずっと付きまとわれてわけがわからず迷惑したのはこっちだ。

慰謝料だって、頭金50万入れて、後は25カ月分割で、で手を打った。

私にしてみれば、その25カ月の間にあの男が反省と改心をしてくれるかと

いう思いもあったのだ。

だけど、あいつは何一つ改心するどころか、ギャンブルに走り、

500万以上もの借金も作った。

もともと、私にかくれて、カードを持ち出しては「自分の稼いだ金」という思いしか

なかったやつだ。

結婚していた頃、朝から見当たらない、どこへ行ったんだろう、そのうち帰ってくるか”

なんて思いでいて、ふと勘がさわぐ。

まずい!!!

カードの差し押さえに何度も電話したこともある。

ストップのかかったカードを持って血相を変えて怒鳴りこんで帰ってくる事もあった。

だけど、そうしないとあいつはあの頃から借金まみれだっただろう。

なんとか借金を作らずにすごしてきたのは、私が途中でストップをかけていたからだ。

最終的に、車を買いかえよう”という話になって希望を持ち、

私は絶対車分貯金をしてみせるから、2度と私からカードを取り上げないでくれ!”と言った。

それなのに、あいつは持って行った。

あいつは気違いだ。

自分の金はビタ一門他人に使われたくないのだ。

それで残高がなくなると私に返す。そう言う事は何度もあった。

「もう一度ふみちゃんを信じるわ」と都合のいいもっともらしいごたくを並べて。

それ自体おかしい話なんだ。それでも私は頑張った。

そして預金が20万超えると持って行ってしまう。

自分が稼いだ金だ”と。


最終的に精神科へ連れて行かれ、頭がおかしいのは私だ”と。


私は堪えた。ひたすら堪えた。

依存症だったのはあの男の方だ。

まともな会社に働いてれば、まともだと思ってる今のくそ人間の象徴のようなやつだ。


離婚してから、私はいつかあいつに仕返しをしてやろうと思った。

あいつは私の何も見てはいない。

両親離婚した風俗上がりの適当にどうにでもなる女だとでも思っていたんだろう。

私は離婚してからパソコンを覚えた。

一般企業で働けるように資格の勉強もした。

最初のうちは、自分の過去が誰かにばれてしまうのではないかとドキドキしていた。


でもそのうちに、もう時間が私の過去を消してくれたんだと悟った。


あいつは私を甘く見過ぎた。
私はそのうちに一回くらいはあいつの会社にも働きに行ってやろうと思ってる。
その時は容赦しない。
障害者だってこともフルに活用してやるつもりでいる。

あいつはずっと、こうして私が入社してくるのをドギマギしていたかもしれない。
ちょっとずつちょっとづつ、這いあがってきたからね。

入った時には私がパートだろうとなんだろうと、どん底まで追い詰めてやる。


私はあの人間は一生許さない。

別れてから、何をしたって、意味はない。


好きな女がいて、、、お前には申し訳ない事をした”と言う事は決して相手を傷つける事ではない。

むしろ黙ってて、その人の時間を買い殺しにする方がよっぽど酷だ。


前に私の部屋に来た時、私が桜のシールを貼ったりして部屋を春らしくしていた時に

「あんたはこんなことが出来る人やからええなぁ」と言った。

意味ありげなイヤミな奴だ。

今の女はそういう事もしない女なのだろう。。。


今月、GWに京都に帰る”と珍しく言った。

そういうのも見え見えなんだ。

私ははなから足蹴にされたけど、両親に会わせにいくんじゃないの?


私のこの10年以上、人が思ってるよりもずっとずっと憎しみは深い。




昨日、4月23日、17年連れ添ったくれたクッキーの命日だった。

お花と手羽先をお供えして、拝んであげた。

クッキーが夢にでてきてくれた。つぐおのうちにはねこがいたから行かなかったみたいだ。

クッキーがもうほんとに自由になりな”って教えてくれたのかもしれない。


       クッキー命日2011












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