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母・旅立ち

  

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  この歌は中島みゆきさんの歌の中でもかなり好きなんです、、、。
  ちょっと淋しい感じが独特のみゆきワールドて感じです。



皆様、応援頂きありがとうございました。

11日の午前中、母が亡くなりました。

最後は母らしい潔い亡くなり方でした。


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お母の気持ちが少しでも明るくなるようにと買った浴衣。

きれいに着れたら見せに行こうと思ってたんだ。

見せる事出来なかった。お母に見せたかった。。。


  浴衣1


  浴衣2

結構、今風に頑張って着てみたのよ~


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11日、午前4時半頃、電話が鳴った。

「先ほどから息も荒く、かなり苦しい状態かと思われます。」と、、、。

「今すぐ行きます!」と余分な事は何も話さず「15分で行きます!」と

電話を切り、お願い!待ってて!”という思いだった。。。

Tりんに電話をして、S也を迎えに行ってくれるように頼んだ。

自分がこれから私を迎えに行こうか?”と言ってくれたが、

それでは間に合わないかもしれない。

私は直接このまま病院に向かうから”とその日浴衣を着ていたが、

即行で着替えて駆け付けた。

運転している間も、お願い!待ってて!絶対一人でなんて逝かせない!

そんな淋しい思い絶対させない!!”と思いながら、走った。

大きい病院だから、駐車場から入口までがまた遠い!

時間外だから、ぐるりと回って病院の中もぐるりと回って歩いて、

「ったく!このくそ病院め!」とグチがこぼれた。


入院場所にたどり着いた時、看護婦さんが、

「先ほどから~~~~~」と話しはじめたので、

よかった。間にあった。まだ生きてるんだね!”と少しほっとした。

その何日か前から夜勤担当になる看護婦さんが、

「もし具合が悪くなられたら、、、」と心配そうに言ってくれる子もいたし、

急変した時は15分でも間に合わないかもしれないので”と

言う事も言われていたから、

まだ若い子だったが、私にはその子の優しさが見えたから、

その時は仕方がない。できる限りを尽くすしかないんだから”と思い、

「とにかく全然時間とか気にしなくていいので電話してください。」

と言っていた。

だからたどり着いた時は、容体はどうであれ、よかった”という思い

だけだった。

亡くなってたら、「先ほどから~~~」ではなく「先ほど~~~」と

話始めるだろうから。。。

詰所の横にベッドが移されていた。

酸素が70パーセント代まで落ちて鼻から吸引もしてくれていた。

脈は高かったが血圧がもうかなり下がっていた。

顔がびっくりするほど黄色い。と言うより黄緑色だった。

「お母。。。お母。。。もうすぐS也も来るからね。。。」と

意識はもうないだろうお母に話かけた。

ゼエゼエ”と痰がつまっているのだろう、苦しそうな胸の音が聞こえた。

苦しいんだろうなぁ、、、。

私が小児喘息で子供の頃肺を患った時の苦しさを思い出した。

もう死ぬんじゃないか?と思うくらい苦しかった。

息ができない!苦しい!!と必死に息をした事。。。

あんな苦しみを今味わってるんだ”と思うと、

頑張れ”とかそんな簡単な言葉は出なかった。

私は一度、死にかけてるからその時の苦しさがわかるだけに

なんとも言葉にできない。

意識がほとんどなくても少しはわかるのだ。


苦しい。もういい。この管抜いて。もういいから死なせて。”と

思ったあの時の事がその時のお母の手を握りながら、

気持ちがわかるってこんなに辛いものなのか”と思った。。。


普通の人なら「お母さん頑張れ!」とでも言うのだろうか、、、。


もうお迎えはそこまで来ているんだ、、、。

向こうの世界へ行く為に、さあここ最後踏ん張って向こうに逝くんだよ!”と

言うのか?

いやだ。できれば例え1日でも長くこっちの世界にいてほしいんだ。

だけど、苦しいんだ。苦しませたくない。

思う事はただ一つ。

S也が来るまで!”それだけだった。

私達兄弟はお母に何度も家出されてよそへ預けられたけど、

S也だけはお母ずっと面倒みたじゃん!!

最後、一目S也の顔見てから逝くんだよ!”とそれだけを思った。




慌てて車から降りたせいか、うちを出る時に持って出たはずの

数珠がない!!しまった!!

あの数珠は私がずっと念を入れてきたものなのに!!

こんな大事な所に来て忘れてくるなんて(>_<)


そのままずっと手を握って祈りを送っていた。




しばらくして、Tりんが入ってきた。



「え?一人?S也は?」

とTりんに言うと、「S也君、行ったら起きててすぐに出てきたんだけど

今からバイトでどうしても抜けられない”って。。。

そんな事あとで電話でもすればいいからとにかく車に乗ってくれないか!?”

って言ったんだけど、終わったらすぐに駆けつけるって言って、、、」

と何時までかと聞いたら9時までだと言っていたと、、、。

そんな!!

9時きっかりに終われるはずもないだろうし、

たとえ終わって駆け付けても9時半は回るだろう。

あと4時間!


S也頑張れ!絶対最後お母の顔見ろ!”とそれだけを思った。


Tりんと並んで座ってしゃべっていると、

お母の意識レベルが少しあがったりした。

私の声はもうほとんど聞こえないんだろうけど、

男性のトーンは聞こえるのだろう、、、。

私はそれを見てTりんに話していたのに、

途中から返事もしないTりん。

あんたの声ならお母にまだ届くの!!引き戻しててよ!!と思い、

返事してよ”と言っていたが、うなづくだけで、

声出しちゃいけないとでも思っていたのだろうか?、、、

普通の人はわかんないのかな、、、。

さっきからあなたの声に反応して意識レベル上がったりしてるの

わかんない?って、一体この人の目はどこに付いてるんだ!?と

こんな時くらい体裁気にせず「お母さーん!!」くらい呼んでくれても

いいんじゃないの!と思った。



その日たまたまTりんも寝付けず起きていたらしく、

もしかしたら今晩くらいはもつかもしれない”と少し希望も見えたので

とりあえずは一旦帰る”と言って昼には来るから

そしたらふみちゃんも一旦帰って寝や”と交代しよう”と

言ってくれた。

なにか出来る事あるか?聞いてくれたので、

お母の顔を触ったら汗をかいていたので、

お母の部屋に行って濡れタオルとうちわを持ってきて”と頼んだ。


Tりんが帰った後、そっとお母の顔を拭いてあげた。

熱も出てるし、しんどいんやろう。。。


ツーッと涙が、、、。


「うん。。。うん。。。しんどいね。。。」と頭を撫でた。


また、ツーッと涙が、、、。


グーっと歯を食いしばったようなそれまで見た事のない

苦しそうな顔(:_;)。。。


ひたすら手を握って祈りをこめた。


うちわで扇いであげると少し酸素のパーセントがあがった。

暑いの苦手だもんね、お母、、、。

目を開ける事は出来なくてもまだ意識があるんだ、涼しいと感じるんだ。

ゆーっくりと優しい風になるように扇いであげた。


S也頑張れ!9時半まであと3時間。2時間。と過ぎていった。

看護婦さんたちが出勤してきて、ガヤガヤとしだした。

私、夜中に出てきてるから化粧したまんまだよと、

もうトイレくらい行っても大丈夫だろうと思い、

「お母。ちょっとトイレ行ってくるからな。」と声をかけて

トイレに行って鏡を見たら、なんてひどい顔なんだ私(>_<)

病院くるのに化粧ポーチなんて持ってきてもいないしさ

口紅を拭いてアイラインも拭いた。



それから少しして看護婦さんが

「この後一旦お部屋に戻しますね。」と言ってくれた。

その後詰所の横の部屋が空いたのでそちらに移って頂きます”と

今までの部屋は詰所から遠かったので、

真横のすぐ駆け付けれる部屋に”と言われた。

酸素も90パーセント代まで回復してくれたので、

私も今晩はまだいけるだろうと思いほっとした。



看護婦さんに「昨日から便が結構出てて、、、」と

ナプキンタイプの紙おむつを買って来てほしい”と言われたので

売店が空いたらすぐ買いに行きます”と言った。


オムツ交換の時も私はその場で見ていた。

できれば私が拭いてあげたかった。

看護婦さんは、交換しますのでカーテンの外へ”と

言いたかったのだろう。

その場から離れずに顔色一つ変えずに便が出ているのを見ていた私を

看護婦さん達はこの方は変わった方だなあ”と思っていたかもしれない。


私としてはどんな状況かきちんとこの目で見ておきたかったのだ。


「あららら。。。結構出ちゃってますね。。。」と

言ってしまった。

「便秘って言って市販の便秘薬飲もうとしてたからダメだ”って

止めたので、、、」ともちろんモルヒネを使うと便秘になるという事も

先生から聞いていたし、、、。

だけど、、、


結構溜まってたのね、、、。

何にも食べてなかったのに、、、。

見てない所で何か食べてたのかな?

何食べたんだろう?って思うくらい


それからしばらくしてお腹がグゥ~ッと鳴った。


「おなかが減ったんだね。何か食べたいよね?」と

声をかけて、お腹をさすった。


9時を回り、部屋に戻された。


「お母。よく頑張ったね。しんどかったね。頑張ったね。」と

話しかけた。

もちろん返事はしない。

でも話しかける。

それからその日の担当看護婦が入ってきた。

瞬間、イヤだ!!と思った。

その子は担当外してもらいたいと思っていた子だったからだ。

モタモタモタモタとわざととしか思えないくらい

のらりくらりとしている。



導尿カテーテルを入れられた時も担当はその子だった。

私はその24時間もたたない前の日に看護婦さんから

1日1回トイレに座らせるとされてます”と聞いていた。

自分から尿意を感じてする事はないが座らせるとしていたんだ。

看護婦さんはもちろん大変だったと思うよ。

いくら病人で痩せたとはいえ50キロ近くはあっただろうし、、、。

だけど自力で出来るならその間は出来る限り手助けするのが

仕事だろう?

私にはその看護婦は介助するのがイヤだからカテーテル入れたとしか

思えない。

24時間まだたっていないでしょう?、どうして?”と聞いた時、

その看護婦、

「じゃあ抜きましょうか!!」と応えたのだ。

「あなた何言ってるの?こんなもう意識のなくなった病人に

1度カテーテル入れてまた抜くって?

もうこのままにしといて。」と言ったが、

あの子は看護婦としては失格だ。

その前日の看護婦さんはベテランさんと新人さんの

コンビのようだったがいい方達だった。

私は深い医療知識はないが、自分が入退院を何度も繰り返した事で

ある程度の事はわかる。

カテーテルも何度か入れた事があるからわかる。

抜いた後どんな風か?

私は一番ひどかった時は退院した後、キッチンで皿を洗おうと水に触れた瞬間

垂れ流した。

自分でもびっくりした。

その子はそんな思いをした事もないだろうし、

わかんないだろう。

だけど、その返答は看護婦として明らかに失格だぞ!!

人の体に!作業自体は簡単な事かもしれないよ!

だけどな!痛み味わってるんだぞ!!

うまい具合に入ってなかったりした時は、どんな不快さと痛み

味わってるのか知ってるのか?

それを刺したり抜いたりだと!!

このくそがきゃ!!てめーいっぺん突っ込んでやろうか!”と思った。

週が明けたら看護師長に担当外すように言うつもりだったんだ。


まさか3日もたっていない間に、またその子が担当になるとは

思っていなかった。

私もあまかった。。。


酸素も通さずにモタモタモタモタとしている。


大丈夫なのか?

さっき90以上まで回復してたからな、大丈夫なんだろうな?と

思いながらも言葉にせずにいた。

カチッと装置つけるだけだぞ?何やってるの?この子

血圧だってもう上が60台、下は30台まで下がってるんだぞ。

何分この装置置き去りにしておくの?と思ったが、

まあ、とりあえず部屋に戻されるくらいまで回復したんだ、

大丈夫なんだろうな、、、と思い、


じゃあ、9時回ったし、そろそろ売店に行ってくるかな”と

言いながら、私のバッグの中身を見ていた、その時、、、。


「血圧測るのもうイヤかもしれないのでやめときましょうか」と

看護婦が言った。

お母の顔を見たらすごく苦しい顔をしている!!

「はい!」と言ったらゆっくり血圧計を外した。


何秒か後、

「名前呼んであげてください。」と淡々と言われた。

「は?名前って?今?息してませんよ!!今ですか?

息してませんよ!!息してませんよ!!!今ですか!!!」と言って

お母の耳元で

「お母ー!おかあー!!おーい!!

おかあー!!おーい!!
」と叫んだ。

1分くらい呼んでいたかもしれない。。。


息を引き取っていた。。。


もう命はないとわかっていたけど、あんなやり方はないんじゃないのか!!

あの看護婦、人殺しだ!!

たとえあと30分、15分だったとしても、

あのやり方は意図的に死に至らしめたとしか言えないと思う。

なぜ酸素を通すより先に、血圧の落ちてる患者の腕に血圧計を巻いて

まるで首でも絞めるかのように腕を絞めつけたのか?!

5時間、いや私が到着する前から考えると苦しみ出して6時間は

たってたはずだ。

6時間頑張ったんだぞ!!

ずっと測定機付けてるじゃないか?なぜあえて測ったのか?

延命治療は断ったが殺してくれ”と言った覚えはないぞ!!

苦しい表情見せたらせめて酸素急いで通すくらいの事はしたらどうなんだ!!


死んでから呼んであげたってしょうがないんだよ!!


今の今、よく頑張ったね”って病室戻ってきたとこだよ。

私だって徹夜だよ。


あの看護婦、私がオムツ買って来なきゃね”とお母に言っていたのを聞いて

うんち?いやだ!!”とでも思ったんじゃないか?と思う。

私の昔仲良くしていた子がヘルパーになって、

自分が休んだあと出勤すると掻きだし(指を突っ込んで便を出す)の

人ばっかりあてがわれてイヤだ!汚いしさ!と言っていた子がいたし

そんな気持ちで仕事するヤツは少ないとは言えないと思う。


もっても1日。どうせもう死ぬんでしょくらいの事

思ってたんじゃないかと私は思う。

それからモタモタとまた詰所横の処置室に運ばれ、

その後モタモタと医者がやってきて、

「担当医は別の方みてて来られませんので私が」と言った。

はあ?なめてないか?まあ、いいよ。もう息引き取ったんだから。

誰が見たって一緒だ。

この先生は悪くない。

それから瞳孔の確認をして、時間を告げられた。

お母、約6時間最後の苦しみと闘った。

よく頑張った。

1カ月以上も点滴24時間刺しっぱなし状態で

それがどれほど辛い事か私は知ってる。

でもお母、痛いだのなんだの泣きもしなかった。

夜中痛みを訴え座薬を入れる事が多かったらしい。

それでもかなり我慢していただろう。。。

私がいる間、涙を見せた事はなかった。

あれだけ体中ガンに侵されてたんだ。

痛くなかったわけがない。


最後の顔はクっと歯を食いしばった頑張り通した顔をしていた。

最後の涙がツーッとひとしずく流れた。。。


頑張った。頑張ったよ。お母。。。よく頑張ったよ。。。


そのものの5分もたたないくらいに

スーッとカーテンが静かに開いた。

下を見ていた私は看護婦さんだろうと思いじっとしていた。

しばらく動く気配がないと思い顔をあげたらS也が立っていた。

「あ~。S也~。間に合わんかった~。今の今、お母逝ったよ。。。」と

言うと、無言でお母の顔を見ていた。

自転車で50分近くかけて走ってきた。

必死で走ってきたんだろう。。。

汗でシャツもズボンもべッタべタになっていた。

お母の部屋に体拭く大きな濡れティシュがあるからそれ使って

体拭いといで”と言ったら、静かに歩いていった。


その後、二人でお母の部屋の荷物を引き揚げて

お母の体が洗いおわるのを待った。


洗い終わった後のお母の顔のきれいだった事、、、。

死んでるなんて信じられない。

お母の事だから、起き上がるんじゃないのか?とさえ思うくらいだった。

きれいにお化粧され、霊安室でお母の顔を見た時は、

まあ!なんと!生きてる時より綺麗なんじゃないの?と

言いたかったくらいだった。



「よかったな、、、。お母よかった、よかった。。。」

そうお母に言葉をかけた。

断末の苦しみのような表情じゃなく、穏やかに、ほんとに眠っているかの

ような顔。

お母と入れ違いくらいに運ばれてきたおじいさん、

言ったら悪いけど、ものすごい顔してたもん。。。

口をグワァ!!って開けて地獄の苦しみ”って感じの表情してた。

あんな表情を見せなきゃいけないほどの生き方をしてきたのだなぁ、、、。

その方もその家族も、、、。


だから、お母はよかった、よかった”なのだ。


S也は間に合わなかったが、S也が一生懸命お母の元に向かって

自転車で走ってる姿、お母には見えてたはずだ。

あの子だって生活もかかってるし、やるべき優先順位を決めて

あの子なりに最善を尽くしたと思う。


それにお母が亡くなってから思ったが、

ずーっと付き添って最後の1秒をみとると言うのは

かなりの精神力がいるものだ”と思った。

急いで駆け付けたが先ほどお亡くなりになりました”と言われる方が

ただただ泣く事も出来るかもしれないし、

逆に冷静に、ありがとうございました”と言えたりするのかもしれない。



この間、温泉でいつも会う方に「お母ちゃん、悔いが残っちゃうわね。」と

言われたが、

いいや!!お母に悔いはないだろう”と思う。

私にはあれもこれもしてあげたかった”という思いが次から次へと

まだ今も出てくるけれど、

お母は結構人生楽しんで生きたと思う。

一つだけお母に教えてもらいたかった事がある。

つけまつげの付け方。

お母は私が子供の頃、水商売だった時に

ちょっと前のギャルメイクみたいな化粧をしていた。

つけまつげを付け、濃い目のアイラインを入れ、今でいうヘアウィッグを付け

ポックリぞうりを履いていた。


私は瞼が重くなるからあまりマスカラも付けないし、

つけまつ毛だけは未だにうまく付けられない。。。


お母毎日毎日付けて行ってたなぁ、、、。



お母が亡くなってからバタバタで病院から荷物をそのまま

Tりんが持っていってくれていたので

返してもらい、やはり最後にお母が着ていた服を見たら

捨てられなくなってしまった。

こうなるから、病院で全部処理してきたかったのだ。

もういい。私がお母の最後の服持ってる事にするよ。

そう思って服は粗塩を入れて洗濯し、バッグの中身も整理して、

靴もきれいにふいて底だけは洗ってあげようと思った。




ガハハハハ(≧∇≦)ノ彡

どこまでも笑わかせてくれるよね~












  099.jpg


パチンコ玉はさまっとんじゃ~ん

お母らしいや。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。










皆様応援、励まし、ありがとうございました。
訪問者リストを見て、今日もこうして気にかけて見にきてくださってる方がいると
思う事はほんとに私にとって支えになりました。
落ち着いたらまたコメント欄もあけようと思ってます。
その時はまた皆さん、気軽にコメント入れてくださいね。